× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。 日本という国では、どのようなシステムが機能し、それがどんな風に受け入れられているのだろうか、と考えてみた。というのも、堺屋太一の『日本を創った12人 上・下』という本を読んだからである。その本自体の感想は、まぁこんなもん。目新しい事もなく、大学受験レベルの知識で書ける程度だった。この知識を繋げてさも内容があるように書く技術は素晴らしいとは思う。
さて、この本の下巻に大久保利通の話が載っていた。何かことあるごとに公的機関の責任問題が大きく取りざたされる昨今、なぜ不祥事や失態ばかりを繰り返す公的機関ばかりに解決を求めるのだろうかとつねづね疑問であった。多くの問題の中には、個人の自己責任によるものや民間で解決できるものがあると気付いた時、この堺屋太一の話を思い出した。 大久保利通は明治維新を導いた薩摩藩出身で、維新後は内務省を作り、そこでありとあらゆる日本の根幹を生み出した人物だ。内務省とは、文字通り内政全てに権限を有していた。(その権限は軽々しく扱われる事はなかったが、内務卿の権力は絶大であった。)そのシムテム自体はヨーロッパに既存していたものではあるが、大久保はそれを上手く日本に組み入れ、維新後の大きな変化と共に日本の方向性を決定づけた。 具体的に言うと、そのシムテムとはよく言う”タテワリ”社会である。平たく言うと、国が国民を育てて見守り保証を与える、というものだ。明治維新からはや百数十年、このシステムは日本人の考え方の深くまで浸透しており、もはや癌のような病気の一種になっていると思う事が多い。 当時は高い教育を受けた者は限られており、彼らが教育されていない国民を指導する事は非常に合理的だった。しかし現在、大学教育が当然視されているのにも関わらず、この考え方が生きているのには疑問を抱く。 過去を振り返れば、日本には偉人と呼ぶべき人物が多くいた。歴史とは当時の支配者層にとって都合のいいものでしかないが、学ぶ事が多いと感じた。 PR | カレンダー
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